美術の旅人

よねひと

42回目の藤沢縄文野焼祭 一関市藤沢町 8/12~13

よねひと

梅雨の季節が舞い戻ったようなあいにくの天候(その雨がこの記事を書いている18日の今もまだ続いている異常)で、開催できるのだろうか、中止になるのだろうか、初めから終わり近くまで危ぶみ続ける中で、今年の野焼祭は開催された。しかし、篠突く雨ならまだしも勢いを増した炎は少々の雨なぞ吹き飛ばすパワーを持っている。火災も炎が力を増すとちょっとやそっとの放水ぐらいではどうにもならないことを実感。江戸の火消しが今のような水道設備がなかったことにもよるが、もっぱら建物の解体屋だったわけが実感的によくわかる。
困難があると燃えるたちなのかいつもよりドーパミンがよく出て、雨に抗ってバタ材をくべ続け、炎に煽られるうちに忘我の状態に近くなっていく。作品を持ち込むことのない私(初期の頃はなんだか変なものを短時間に作って火に入れたが)だがこの非日常体験があるから、もっとじいさんになって体が動かなくなるまで参加したいと思っている。
今回は、この祭りについてちょっと批判めかしたことを述べるが、どうして大会役員やなんだかわからないけど毎年特別席のテントに陣取ったお歴々の方々は、自らこの祭りに参加しようとしないのだろう。作品を作れないにしても火に近づいてマキの一本でもくべたら、関わりの仕方ももっと心の籠ったものになるのにと思う。本筋は縄文にテーマを置いた火の祭りなのだから、いずこも同じの「村の習慣」はさておき、それとまず向き合って盛り上がる素朴な振る舞いがほしい。
そう思ってたら毎年作品を作って同道してくださるかつての職場の元上司が一言ビシッと言ってくれた。怒声に近くなった声質に「こういう時は怒ったふりをしないとな」と照れくさげに言う彼の言葉に「いやよく言ってくれました」と心の中で共感する。
翌日は6時過ぎに窯出しをした。雨は夜じゅう降り続いていたが、窯の中は乾いていた。最後は雨の力に打ち勝ったのだろう。大量に積み上げたバタ材もすっかり燃え尽きて灰となって降り積もっていた。残念ながら先輩の作品はさわるともろくも崩れ落ちて、付随する小物は別にして跡形もなくなっていたが。一方で長年参加している女流彫刻家K氏の作品はほぼ形成時の状態のままで焼きあがっていた。技術的なことを言えば、急ごしらえで板作りでつくったものとよく練り固めて紐作りで作ったものではこれだけ違う。しかし、ものの見事に壊れるのも良し。それが分かっている彼は、来年も一年がかりで作品を作って参加すると思う。